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優秀なスポーツ選手が、高い成績を残して引退したあと、
そのスポーツの「協会」や「後援」などに従事することがあります。
選手であったときは、
自分自身の成績を高め、結果を出すことが目標ですが
後援活動に携わるときは
たくさんの選手に結果を出させることが目標となります。
あるいは、そも、そのスポーツを
たくさんの人が自由に楽しめるようにする場をつくる、ということが目標です。
そこまで大きなシフトではなくとも
私たちの生活の中にもしばしば、そういう変化が起こります。
自分一人の目標を追いかける段階から、
みんなでその目標を追いかけられるようにする仕事を担う段階へ。
前者は、外側から自分を負かそうとしてくるものとの戦いですが
後者は、世界を広げ、充実させようとする、内側から外側に広がる戦いです。
2012年、獅子座の世界では
おそらく、そうしたシフトが起こります。
年の前半は、貪欲に自分の成績を上げ、得点を増やしていく時期で
後半は、もっと広い視野で世界を見渡し、
目標の次元を一段階上に、押し上げるのです。
2011年にも、たくさんのチャンスが巡ってきたと思います。
社会的な立場が変化した人もいるでしょうし、
何らかの大きな成果を今、まさに挙げつつある人もいると思います。
2012年の前半も、このチャンスの流れは続いていきます。
ここであなたが成し遂げたり勝ち得たりするものは
非常に具体的で、生産的でもあります。
収入に直接結びつくような、リアルな成果ですが
得られるものはそれだけではなく、
なによりもすばらしい
「今後の活躍の場」こそが
この時期のあなたの、一番大きな収穫であるはずです。
2012年の夏を境に、
そんな「具体的チャンス」の雰囲気は一変します。
これまで追いかけてきた目標は
周囲と関わりながら達成したものであっても
どこか「自分のもの」だったと思うのです。
自分が動き、自分が収穫する、
ある程度個人の範囲に限定された機会であり、成果だったのです。
これが、2012年夏からは
もっと広い意味を持った目標を設定する段階にうつります。
関わる人の人数も多くなりますし、
自分の力ではなく、「この人達の力をどうすれば生かせるか」というような
そんな目線で物事を見る場面が増えていきそうなのです。
2012年後半、あなたの人間関係はどんどん広がっていきます。
この関係は、直線的ではなく、面的です。
あつまり、ひろがり、場、
といったようなイメージで、人々の関わりが展開していきます。
個人対個人の緊迫した、小さな単位の力ではなく
人々が集まったところに生まれる、
ある大きな力を意識するようになります。
人が集まって生まれる力というのは、
個人の力の足し算ではないように思えます。
人が集団になると、
一人一人の出力が不思議と、ひとりぼっちの時よりも強くなり
結果的に、10人の力は一人かける10ではなく、
20人分にも30人分にも匹敵することになったりするわけです。
この「あつまり」「場」の不思議さについて
深く考えもし、かつ、リアルにコミットしていくのが
2012年後半以降のテーマとなるでしょう。
2012年にはもうひとつ、
大事なシフトが起こります。
それは、人と人との「連続性」に関するシフトです。
人間は個人個人、バラバラに存在しているように見えますが
実際は、いろいろな「切っても切れない結びつき」の中に生きています。
からみあい、わかちがたく融合し、
いわゆる「しがらみ」と言われるようなものに取り込まれて生活しています。
長年住んだ土地から、どんな理由があっても決して離れない、
という人がたくさんいますが、それはまさに「融合」です。
長年連れ添ったパートナーとはなれない、
ペットは家族の一員だからてばなさない、
そうした「どんな理由があっても、切り離しがたいもの」というものに囲まれて
人間は、暮らしているものではないかと思うのです。
でも、その「わかちがたさ」は、本人にしかけっして、解りません。
誰かが、自分のパンを半分にちぎって
私にくれたとします。
私は「その人が自分に、パンを無償でくれた」と感じます。
そのパンはその人が手に入れたもので、その人のものなのですから
その人が、自分のものを私にくれた、ということになります。
一方
「わかちあう」
という言葉があります。
これは、どういうことでしょうか。
もし、「これはだれのものか」という所有関係がハッキリしていて、
その人と自分の間に何の関係もなければ
「わかちあった」
というイメージはどうしても、湧いてきません。
でも、その人が自分の家族や恋人だったらどうでしょうか。
多分「わかちあった」という言葉を、それなら、
受け入れやすいような気がします。
「わかちあう」ということは、
両者の関係がなんらかのかたちで
分かちがたく結びついていなければ、実現しないのです。
相手が所有しているものであっても
それは、どこか、自分も所有しているのです。
同時に、自分の所有物も
どこかしら、相手の所有物のようにも思えるのです。
だからこそ「わかちあう」という言葉が成立します。
自分の命が自分だけのものではない、という感覚が
そこには、地下水のように脈々と流れています。
若い頃は、自分の命は自分だけのものだと感じられます。
でも、年齢が上がり、人々との関わりが増え
さらに、その関わりの密度が濃くなるに従って
自分の命が自分だけのものではなくなっていきます。
子供ができれば、
「自分が死んだらこの子はどうなるだろう?」
という心配が生まれます。
こうなるともはや、親であるその人の命は
自分だけのものではなく、子供のものでもあるわけです。
親子ほどの切迫感はなくとも、
人と微かに、あるいは強烈に、命を分かち合う、ということが
生活のそこここで、まるで目に見えない形で、生起しています。
そんな「わかちあう」「融合する」ということが
2012年からしばらく、獅子座の大事なテーマとなっていきます。
ここでは、「人間関係」のような
線的な結びつきで人との関わりを捉えることが出来なくなります。
「ギブアンドテイク」も「バランス」も
どこか、通用しなくなっていくのです。
そうしたリクツや物差しのかわりに、
絶対的な価値観や、しみこんだり絡みついたりする力が
あなたの世界に広がっていくのです。