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以下は、あるご夫婦のエピソードです。
夫のAさんが定年退職となり、
妻のBさんはまだ働いていたため、
Aさんは「主夫になる」と決心しました。
掃除や洗濯など、
慣れないながらもだんだんにこなし、
みるみるうちに上達しました。
ただ、食事の支度だけが、
少し苦手だったのです。
出来合のもので済ませたり、
カレーや豚汁のくり返しになるなど、
なかなか思うように行きません。
本人ももどかしいようですが、
新しいことに手を出すのが怖くて、
諦めているようでした。
Bさんはその様子を見て、
どうすべきか迷いました。
「教えてあげるべきか」と悩みましたが、
敢えて手出しをせず、見守りました。
すると、ある時不意に、
Aさんは料理本を手にとり、
そこから新しい料理にどんどん挑戦し、
やがて、Bさんよりも
はるかに料理上手になったのでした。
Aさんの変化には、
Bさんのちょっとした心がけが
関係していたようです。
というのも、
Aさんが「主夫宣言」をする前は、
Bさんが長年、家事を担当していたのです。
Bさんは、過去の自分の家事の日々を
つらつらと思い起こしました。
そして、
「家事をしていたとき、私は、
どんな言葉が欲しかっただろう?」
と考えたのです。
そして、
アドバイスでも教えでもなく、
「頑張ったことをほめて欲しかったのだ!」
と気づきました。
Bさんは、新米主夫のAさんに、
「自分がして欲しかったこと」
をすることにしました。
つまり、
頑張ったな、というところが見えたら、
迷わず、ほめたのです。
そんなBさんに、
Aさんがあるとき、ふと、
こんなことを言いました。
「ずっと長い間、
こんな大変なことをしてくれていたのに、
なにもほめなくて、ごめんね」
と。
2021年、獅子座の世界では、
「人との関わり・人との出会い」
がテーマとなっています。
長年つきあった相手であっても、
お互いの人生に変化が起これば、
関わり方もまた、変化します。
立場が変われば、
できることも変わります。
して欲しいことも変わりますし、
今までの相手の思いに
はっと気づかされることもあります。
AさんBさん夫妻のような深い心の交流は、
「主夫交代」ほど大変化でなくとも、
日々のちょっとした変化の中に、
実現しうるものなのかもしれません。
新しい出会いは、
人の新しい面を引き出します。
誰かと出会ったとき、
私たちは相手だけでなく
「新しい自分」にも出会うことになります。
「朱に交われば赤くなる」
とは、古くから言われることですが、
相手から影響を受けるだけでなく
元々自分の中にあった芽が、
「新しく出会ったその人」からの光を受けて
突然すくすく伸び始める
といった現象も起こるものです。
2021年、あなたは誰かとの出会いによって、
新しい自分を発見するでしょう。
そして、その「新しい自分」を
「これまでの自分」の中に、
何とか組み入れていくことになるはずです。
公私ともに、
他者との関わりの中から、
多くのことが生まれます。
恋人やパートナーを得る人もいれば、
ビジネスの上での「相棒」を得る人、
一時的に誰かとタッグを組む人もいるでしょう。
また、「仲介役」にも恵まれます。
長らく抱えている問題について、
専門家に相談する人もいれば、
第三者に頼んで、対立関係の
「中に入ってもらう」
こともできるかもしれません。
お見合いや、仲人を介しての結婚は、
現代ではあまり人気がないようですが、
これも立派な「出会い」「縁」です。
2021年はさらに、
「出会い」から「役割」が生じます。
ある人との出会いが、
自分の新たな社会的役割を生むのです。
たとえば、
「結婚して、パートナーと共同事業を始める」
「子供を得て、○○ちゃんのパパと呼ばれる」
「ビジネスパートナーと出会って、
役割分担を相談し、
対外交渉役を引き受ける」
などは、その解りやすいケースです。
とはいえ、
この時期「出会い」から生じる「役割」は、
決して、あなたを「縛る」ものではありません。
むしろ、古い役割概念から、
あなたを自由にしてくれるのが、
その役割なのだろうと思います。
より自由に生きるためのポジショニングが
「その人の出会い」によって、
可能になります。
「役割によって自由になる」
とは、少し妙な感じがするかもしれませんが、
実際にその体験の中に入ってみれば、
きっと、その意味が分かるはずです。
「○○さんと出会って、
XX役を引き受ける」
という展開もまた、
「新しい自分に出会う」体験であり、
より自分らしい自分になるための
キラキラしたプロセスなのです。
不思議と、今の世の中では
「人工的なものか、自然なものか」を、
「機会」にも当てはめる人が少なくありません。
お見合いは「自然な出会い」ではないとか、
帝王切開での出産日は
「本当の誕生日」とはちがうとか、
そんなふうに受け止める向きがあるのです。
でも、そもそも、
「縁」や「機会」は、
私たちを取り巻く人間関係の全体から、
それこそ「生まれ落ちる」ものです。
お見合いも、予定された出産も、
すべて、自分を取り巻く世界と自分との
深い関わり合いの中で結ばれる、
立派な「縁」です。
人為的な「出会い」のようでも、
その「人為」こそが、
奇跡的偶然なのです。
自分から求めて得られたように見えるものも、
実際は「天からの贈り物」です。
なぜから、自分以外の誰かが絡むことは
すべて、ゼロから自分でコントロールするのは
不可能だからです。
2021年の「出会い」には、
意志を持ってセッティングされたものも、
多く含まれているはずです。
どんなに計画的でも、
どんなに意図的であっても、
それらが「成立した」ことは、
堂々たる出会いと呼べるはずです。
「コロナ禍」により、
「いつでも会える」わけではなくなったことが
奇しくも、そのことを教えてくれています。