魚座の今年の占い

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「1981年8月5日に開催した第1回東京都下小学生名人戦には思い出があります。この日、森内俊之君が道場に初めて遊びにきてくれたのです。
大会前日、羽生君から『森内君を大会に連れて来てもいいですか?』と電話がありました。もちろん了解しましたが、一つだけ困ったことがありました。
この大会は東京都下小学生名人戦と謳っているように、都下(東京都の23区以外)の子供しか参加資格がありません。神奈川在住の森内君はずっと観戦するだけでとてもかわいそうなことをしてしまいました。そこで翌年から県外からの参加もオープンにしました。」

2017年、日本では将棋の世界で
華やかなニュースが続きました。
藤井聡太四段の活躍、
加藤一二三九段の引退、
そして羽生善治竜王の永世七冠達成。
上記の引用記事は、
羽生竜王と森内俊之九段の、
小学生の頃のエピソードです。
当時、羽生少年は東京に、
森内少年は神奈川に住んでいて、
将棋大会などで顔を合わせるだけでした。
仲良しの友だちだから呼びたい、
というのではなく、
指して面白いから呼びたい、
ということです。
羽生少年は、森内君と
どうしても将棋を指したかったのです。

他の記事もいくつか読んだのですが
これは、相手を打ち負かしたい、
というライバル心とは、
少し違っていたようです。
もとい、
そうした思いもあったかもしれませんが、
それ以上に「指して面白い」のは、
力が伯仲している相手でなければなりません。
自分と勝負になる相手で、面白いから、
どうしても指したい。
そんな純粋な気持ちが、
大会のルールを変えさせたのでしょう。

将棋や勝負事に限らず
真剣になれるテーマに取り組んで、
実力を付ければ付けるほど、
同じレベルで語り合える相手は
少なくなっていきます。
いわゆる「オタク」というような人も、
なにかにのめり込み、
非常に詳しくなったとき、
そのことについて語り合える相手が
とても少ないのに気づいたのでしょう。
「オタク」というのは、
同じ分野で語り合える人同士が
相手を呼んだ二人称から生まれた言葉、
といわれています。
「同好の士」であり、かつ、
積み重ねた知識や技量に遜色がない相手は
得難い相手です。
すぐに話しかけて、友だちになりたい、
という思いが、
「オタク」という言葉になったのかな、
と思います。

2018年、魚座の人々は
自分自身の得意分野・専門分野で
めざましい成長を遂げることになります。
これまで積み重ねてきたことが
更に飛躍的に伸びていきます。
行動範囲も広がり、
人に教える立場に立ったり
更に高度なものを目指して
新たな行動を起こす人もいるでしょう。

そうした過程では、
「同じ目線で語り合える仲間」は
限られてゆきます。
だれもが同じレベルまで
上り詰められるわけではないからです。
気づけば自分一人が先頭に立ち
自分にしか見えない景色を見ている
それを誰に伝える事もできず
不思議な孤独を感じている
という状態に置かれる人も
多分、少なくないかもしれません。
これは、孤独になるとか、
友達を無くすということではありません。
そうではなく、
自分がどこまでも山を登ったとき
着いてこられる人があまりいなかった
ということです。
もちろん、家族や身近な人々、
遊び仲間などは、
ちゃんと側にいてくれるでしょう。
でも、
あなたが真剣に取り組んでいる分野において
限りなく高見に進んだ結果
なかなか、思い通りに話せなくなる
ということなのだろうと思うのです。

あるいは、
まったく新しい分野に足を踏み入れて
広大な世界のまっただ中で
孤独を感じる
ということもあるかもしれません。
たとえば、
ある会社に新入社員として入ったとき、
まわりはみんな、自分よりも遙かに
「できる人たち」です。
右も左も解らない自分は
少なくとも初めのうちは、
だれとも「同じ目線」では、
仕事の話ができません。
憧れの世界に飛び込んで、
その世界の広大さに打ちのめされ、
野心も憧れも一気に失い、
とてもネガティブな気持ちになる
という経験をしたことがある人は
決して少なくないはずです。
そこで辞めてしまう、ということだって
ちっとも珍しくありません。

夢を追い、高見を目指すとき
人はどこかで、
決定的な孤独を感じます。
最初の一歩、でも、
道を究めた最終段階でも、
どちらにしても、
「同じ目線」で語り合えないのです。
これは、大変心細いことです。

それでも。
道を究めたところでしか出会えない相手
というのも、います。
さらに、新入社員は数ヶ月から一年もすれば
努力次第で立派に、
他の社員とけっこう同じ目線で
話しあえるようになります。
ある分野における孤独というのは、
おそらく「独りぼっち」ではないのです。
ただ、数が少なかったり、
時間がかかったりする、というだけで
そこを引き受ければ、
素晴らしい、本物の交流がちゃんと、
その人を待ってくれているのです。

2018年、魚座の人々は
かなり「大きな場所」へと、
でかけてゆくことになります。
広大な場所に立つと、
自分がどこにいるのかわからず、
怖くなります。
広い広い世界で
「自分のポジション」
を見つけるには、
手間も時間もかかります。
でも、その世界を歩いて行けば
いつかは必ず、
自分が立つべき場所が見つかりますし
自分がどこにいるかも、解ってきます。
2018年、魚座の人々は
「広い世界の中で
自分が立つべき場所を探す旅」
を始めるのかもしれません。
県境を越えて勝負したい、
と思った二人の少年たちのように、
遠く旅した先で
心からわかり合い、渡り合える相手に
あなたもきっと、巡り会えるはずです。