どの星座にも、毎月1回は来ます。
ちなみに、どの星座の方も「自分の星座だけ愛が多い気がする」と言われます。愛ってよほど珍しいモノなのだろうなと思います(笑)
たぶん、「愛の日」とか言われると
「だれかが愛を告白してくれるのかも!」
「彼が薔薇の花束を持ってプロポーズしてくれるのかも!」
などと思ってしまうから、なのかもしれません。
たしかに、そんないいことは、月1では、ムリそうです。(そういう人もいるかもしれませんが!)
実は、私が書いている「愛」というのは、
「それをやる義務も責任もないのに、敢えて無償で他人の心のためにやってあげること」
程度の意味なのです。すみません。。
でも、愛の告白なんかも、そうです。
敢えて相手に「好きだよ」なんて言ってあげる義務も責任もないけれど、それでも、言ってあげたい、ということです。
「そうしなくてはいけない」というわけではないのに、敢えて人のためにやってあげることって、けっこう日常的にたくさんあると思います。
たとえば、私の知人がコンビニでバイトしていたとき、レジで会計が終わって、お客さんが「どうも」と一言言ってくれると、それだけでとても安心して嬉しかったそうです。
私たちは、会計の後に「どうも」と言っても言わなくてもいいわけです。
言わなくてもいいのに敢えてそれを言う、ということは、どういうことなのかな、と思うのです。
これを「礼儀だ」「マナーだ」「思いやりだ」というふうに言うこともできるでしょう。
ですが、私たちの心の中には何が起こっているのかというと、相手にやさしくしたい、相手の気遣いを労いたい、という情愛のようなものが涌いていて、それを相手に伝えるのが「どうも」というひとことなんじゃないでしょうか。
これだって十分立派に、一つの愛情の行動になっていると思います。
そして、それが相手を幸せにしたり、安心させたりするとするなら、それは素晴らしい「愛の日」ではないでしょうか。
辛い、いやなことの多い日々の中で、誰かのそんな、小さな花のような愛情に触れられたら、それは素晴らしいことだと思います。
道端の小さな花を見過ごすように、私たちはそうした情愛に気づかないこともあります。
でも、少し気をつけてみるだけで、情愛の花はちゃんとそこに、咲いているんじゃないかなと思います。