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ギリシャ神話に登場する、
有名なミダス王の神話は
現代を生きる私たちにもまだまだ、
学ぶべきところがあるように思われます。
ディオニュソス神はあることのお礼に
ミダス王に
「なんでも願いを叶えよう」
と言います。
そこでミダス王は、
自分の手に触れたものは全て
黄金になるように、と願うのです。
はたして、彼の手に触れたものは
全て黄金になりました。
最初は喜んでいた王も
次第に、ことの深刻さに気づきます。
食べものを手に取れば食べものが、
娘に触れば娘が、
すべて金に変わってしまうのです(!)。
片手だけにしておけばよかったのでは、
とも思うのですが、ともかく
ミダス王は自分の願いを悔い、
元に戻してくれるよう、
もう一度神に願い出ます。
神は願いを聞き入れて、
ある川で身を清めれば元に戻る
と教えました。
王は川で身を清め、川の水は砂金になり、
それからは、王の手が何に触れようとも、
何も起こらなくなりました。
欲しいものは何か。
私たちは自分自身で、
それをよく知っているつもりでいます。
でも、ミダス王の神話しかり、
「三つの願い」のおとぎ話しかり、
私たちはいざ、何かを願おうとすると
何が自分を充たして、幸福にするか
全く知らないことに気づくのです。
宝くじが当たればよいとか、
意中の人にふり向いて欲しいとか、
一度は心から願ったことでも
いざ、願いが叶ってみると
破滅したり、関係が破綻したりすることも
決して、珍しくありません。
「幸せになりたい」と願いながら
どうなれば幸せになれるのか、
それがわからない。
こんな矛盾に陥っている人も
たぶん、少なくないのかもしれません。
2018年、天秤座の人々は
自分がどうすれば幸せになれるのか、
どうすれば充実し、満足し、
納得して暮らしていけるのか、
それを追求して
一定の答えを得ることができます。
「最終的な答え」ではなく
「一定の答え」なのは、
私たちがどんどん変化する存在だからです。
子供が欲しがるもの・必要なものと、
大人が欲するもの・必要なものが
それぞれ全く違うように、
私たちは人生の段階に応じて
新しいものをどんどん、
必要とするようになります。
また、
「飽きる→新しいものを求める」
という心の動きも、
実際、無視できません。
「これでもう十分だ」
というスタティックなイメージは
私たちの命のはたらきには
必ずしも、当てはまりません。
流行がめまぐるしく変わるのは
私たちの心がそもそも
新陳代謝を求めるように
創られているからだろうと思います。
この「心の新陳代謝」にどう対応するか
ということも、
「一定の答え」の中に
含まれているはずです。
一説には、
「黄金を生む手」を願ったミダス王は
手がもとにもどったあとも
自分の願ったことを深く悔い、
田舎に引っ込んで静かな暮らしをした
とも言われます。
黄金でないとすれば、いったい
何が自分を幸せにするのか。
王はそれを自問して、
自分なりの答えを見つけた、
ということなのかもしれません。
質素な暮らしこそが幸福、
ということの是非はさておき、
黄金に懲りた王が
「暮らし」「環境」「生活」
に目を向けた、ということは、
なかなか興味深く思われます。
何を持っているかではなく、
どこでどう生きるかが問題だ
というわけです。
このことは不思議と、
2018年の天秤座の人々の思いに
重なるところがあるように思います。
というのも、
天秤座の世界では2018年から
「居場所・場」
が大きなテーマとなるからです。
質素な暮らしを選ぶかどうか、
といったことではなく、
あくまで
「どこに生きるか・どう生活するか」
ということがテーマとなるのです。
更に言えば
「だれと生きるか・
どういう関係性の中で生きるか」
ということも、
大事なテーマとなるでしょう。
生きていく「場」、
生活、環境にはもちろん、
たくさんの「物質」が必要です。
「衣食住」の言葉通り、
私たちは色々なモノを必要とし
そのための経済活動に
ひたむきに取り組みます。
2018年は、天秤座の人々にとって
平たく言えば
「金運のよい年」
と言えます。
ミダス王もおそらく、
「なんでも願いを叶えよう」
と言われた瞬間、
「金運のよい時間」
にいたのかもしれません。
だからこそ、
そこで何を願うか、が
大事なのだと思うのです。
すなわち、
2018年があなたにとって、
真に「金運のよい年」だったとして、
ミダス王のような
「金運の使い方」をしてはならない
だろうと思うのです。
「インスタ映え」という言葉が
2017年には流行しました。
美しいものや面白いもの、高価なもの、
美味しそうなものやファッションを
写真にうつして、
インスタグラムなどのSNSにアップする
ということは
ごく一般的になりました。
ただ、そこに映し出された「モノ」たちは
必ずしも、
大切にされたモノばかりではなかった
ということが話題になりました。
物質的な豊かさやきらびやかさが
自己表現となり、
人からの賞賛につながる、ということは
思えば、不思議なことです。
他人の経済力を権威と感じたり、
人の経済力に恋をする人もいます。
経済的には恵まれているものの、
眠る暇もなく、遊ぶ時間もない。
そうした選択をしている人も
世の中には、珍しくありません。
こうしたことはすべて
ミダス王的な発想、
と言えるかもしれません。
もちろん、経済力がなければ
この世の中では、
生きていくことができません。
もちろん、世の中には
お金がなくても、自ら菜園などを作り
生産力で生きている、
という人もいます。
ただ、広い意味では、私たち全てが
「物質的な恵み」によって生きている
ということは、言えると思います。
自分自身に、本当に必要なものは何か。
それは、どうしたら手に入るのか。
更に言えば、それを使って
どこでどのように「生きていく」のか。
2018年の天秤座の世界では、
そこに強いスポットライトが当たるようです。